ポール・ケアホルム / Poul Kjaerholm

控えめでエレガントなポール・ケアホルムの作風が典型的に現れたPK22™は、「紙」室の和紙に包まれた柔らかな空間に調和しています。

ポール・ケアホルム(1929-1980)
1948年に家具職人としての修行を終えたポール・ケアホルムは、1950年から1952年にかけてハンス・J・ウェグナーの事務所に勤務し、当時から高い評価を得ています。
同時期にコペンハーゲン工芸学校へ通い家具デザインを学び、その後は、フリッツ・ハンセン社に勤めます。
注目に値するチェアのプロトタイプを数多くデザインしましたが製品化には至らず、わずか1年で同社を離れます。

その後、ハンス・J・ウェグナーの事務所に勤務していた時に知己を得たアイヴァン・コル・クリステンセンをウェグナーから紹介されます。
コルは当時、ウェグナーの家具を製作する5社のメーカーで共同の営業活動を行う団体「サレスコ」を作るなどして、ウェグナーの名を世に広めた、やり手の販売エージェントでした。
金属、木材、皮革、籐など、異素材を混合したケアホルムの斬新なデザインにすぐに虜になったコルは、ケアホルムの家具を製品化するために手を組み、1956年にE. Kold Christensen 社として最初のコレクションを発表しました。
コルは、クオリティについて妥協しないケアホルムに従って独自の生産システムを作りあげていきます。
パーツや素材ごとに専門技術を備えた職人たちに製作を依頼し、それを組み立てて販売するというものでした。

そして1957年、PK22チェアが当時のデザイン界でも、最も権威のあるデザイン・アワードだったミラノ・トリエンナーレのグランプリを獲得し、それから永きに渡って、コルとケアホルムの共同作業はケアホルムが亡くなる1980年まで続きました。
ケアホルムが亡くなった後は、ケアホルムの才能を最初に認めた会社であるフリッツ・ハンセン社に家具の製造権を譲り、同年ケアホルムの後を追うようにコルも他界。

こうして1982年にフリッツ・ハンセン社は、1951年から67年の間に開発された「ケアホルム・コレクション」の製造と販売を引き継ぐこととなり、現在では、さらに充実したコレクションをフリッツ・ハンセン社から製造・販売しています。

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